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【レポート】3.11を持ち寄る会 2022年

少し寒さが和らぐ中、「3.11を持ち寄る会」を菊地旅館さんの食堂スペースで行いました。オンライン含め4名の少人数ではありましたが、家の集まりのような雰囲気の中スタート。


菊地旅館のあたりは浸水3mほど津波がきました。チリ津波地震を経験していた菊地さんは、津波警報が鳴っても「本当に津波が来るのかな」と軽い気持ちで日和山に逃げました。山で津波の被害を目の当たりにしましたが、夜が近づくと旅館がきになり街へ戻ると高台に逃げなかった近所の方が建物の上から声をかけたり、近所の方で被害があった方がいました。その時は情報もあまりはいらず、何も考えられないような夢中な状態で、ご近所で協力してご遺体を移動したり、避難所に物資を届けたりしていたそうです。普段は挨拶をするくらいの間柄が、震災後のやりとりがきっかけに変わっていきます。


菊地さんが避難した日和山から戻った時、ここの屋上に避難していた方から声がかかった


普段の会話でも冗談が織り込まれるのが菊地さん。今日もその調子でしたが、冗談と冗談の隙間に表われるちょっとした場面や意見からは、当時の生活に「悲しいこと」「辛いこと」「不便なこと」「汚いこと」が共存していたことがよくわかりました。

避難先の公民館で夜な夜な男の人たちで集まった「クラブ公民館」と名付けたお酒の会には、気持ち的にも本当に助けられたこと。有名人が石巻に訪れてくれた時の高揚感。住宅施設がない時期のトイレやお風呂のやりくり(管理の難しさ)。震災後のいろいろなお客さんのお話や反応など…。良いところも悪いところも含めた、人間らしさを、ありのままに思い出されていたようでした。


同じ石巻に住んでいたAmmyちゃんの場合、自宅は被災しましたが、その瞬間には自宅にいなかったため、「被災者だが、当日は波をみていない中途半端な立場に感じた」「震災後必死に生きてきたらこんなに時間が立ってしまっていた」というフレーズが印象的でした。オンラインで九州から参加してくださった方は、Ammyさんの震災時に更新をしているブログのテキストを読んだことがきっかけで、この会に参加してくださっていましたが、今でも思い返して読みたくなるような、考えのヒントになるとの声も。(Ammyちゃんのブログ:


菊地さんが話しの中で、「つながりが大事だね」「一人ではなにもできない」というフレーズを何度もおっしゃっていて、それは震災後の身の回りの人、近所の人とやりくりした経験や、それ以降のつながり、また多様なお客さんとの実感というのも印象的でした。

たまたま同じ時間に、明確な目的はないままでスタートした会でしたが、タイトル「3.11を持ち寄る会」にあるように様々な視点や感覚が蘇ったような時間となりました。複数人で集まることで、考えるきっかけになったり、想像できることが増える。来週むかえる3.11や、ウクライナ侵攻も同時侵攻で起こっている中で、「誰かと話せること」の尊さが響きました。


菊地旅館までの通り。この左右にも当時様々な光景があったことも思い出されていました


旅館の入り口には震災後に送られた石巻の絵が飾られています

この廊下の境目(木のつなぎ目)からが、震災後に増築した新館。建物にも残る震災前後


ある人が、震災の時、当事者とそうではない(と感じてしまう)人の間にあるモヤモヤ感は、今ウクライナで起こっていることに対して感じる気持ちに似ているという風に話していました。コロナもありささやかな開催ではありましたが、この時期にこういった時間を持てて良かったです。菊地旅館さん、Ammyさん、参加者の皆様ありがとうございました。




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